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素晴らしき特撮野郎

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日本が誇る特撮について、あれこれと感想を述べるブログです

『空の大怪獣 ラドン』

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作品データ
・製作/配給―東宝株式会社
・形式―カラー/スタンダード/82分
・封切日―昭和31年12月26日 全国東宝系
・キャスト―佐原健二/白川由美/平田昭彦/田島義文/山田已之助ほか

・ストーリー
阿蘇付近の炭鉱で、出水事故が発生。それに続いて炭鉱夫らが水中に引き込まれ、惨殺死体となって発見される殺人事件が相次いだ。やがて出現した犯人は、古代トンボの幼虫・メガヌロンだった。警官と共にメガヌロンを追って、坑道に入った炭鉱技師河村繁は落盤に巻き込まれ姿を消す。

やがて、地震で出来た陥没口から河村は発見され救出されるが、記憶喪失となっていた。時を同じくして、航空自衛隊司令部に国籍不明の超音速機が報告された。国籍不明機は、さらに東アジア各地にも出現した。一方、阿蘇高原では家畜の行方不明が相次ぎ、散策していたカップルが行方不明になる事件が起きた。彼らが残したカメラのフィルムには、鳥の翼のような謎の影が映っていた。

恋人キヨの懸命の看護により、河村は文鳥の卵の孵化を見たことをきっかけに、失われていた記憶を取り戻した。彼は、地底の大空洞でメガヌロンをついばむ巨大な生物を見たのだ。柏木久一郎博士の調査団に同行して阿蘇に赴いた河村の眼前で、古代翼竜ラドンがはばたいた。

知らせを受けて発進した自衛隊のF-86Fセイバー戦闘機の追撃を受け、ラドンは佐世保の西海橋付近に一時は墜落したが再びはばたき、佐世保や福岡を襲撃した。特車隊が応戦するものの、さらにもう1頭が出現して街を蹂躙。いずこともなく姿を消した。

帰巣本能で阿蘇にもどるのではないか、という柏木博士の予測どおり、ラドンは阿蘇火口の大空洞に所在を確認された。火山研究所が噴火の危険を警告する中、住民の避難が進められ、自衛隊の攻撃が始まる。


感想
「突如、北九州のある炭坑町は、恐怖のドン底に叩きこまれた。
戦慄すべき、オオヤゴの出現。そして唸りを上げて猛襲する、空飛ぶ大怪獣、「ラドン」
その暴威に包まれて、東洋全土は、ついにSOSを発す。
――これは、見る者をして手に汗握らせる、空想映画の決定版。」(予告編)

昭和31年と言えば、今からちょうど、55年前。それほど昔に東宝が、初のカラー作品として、この世に送り出したのが、この「空飛ぶ大怪獣 ラドン」だった。製作費2億、北九州に204日の大規模ロケを敢行して作り上げられた本作は、記念すべき初のカラー作品として、申し分ないどころか、特撮の歴史に、永久に刻まれるべき傑作に仕上がっていると思う。

この作品を初めて通して観たのは、大学生の頃。小学校低学年の時に、テレビでやっていたのを偶然に見て、ラドンが海に着水するシーンだけを妙に鮮明に覚えていたのだけれど、幼い時分に、あの重厚なドラマを理解できるほどの分別が備わっているはずもないから、結局、観返さないままに、十数年間を送ってしまったというわけ。改めて観返してから、それをたいそう後悔するようになったのだけれど。だって、めちゃくちゃ面白いんだもん。これを少年時代に、きちんと見ておけば、どれほど貴重な体験になっただろう。

まず何が凄いって、物語の構成が凄い。
怪獣映画って、どうしても子ども向けで、ストーリーとかも分かりやすいことが第一に求められていて、小難しい伏線とかメッセージ性とかは敬遠されて、ただただ怪獣のドンチャン騒ぎが楽しめれば、それで良いんだ――というように、ついつい捉えられがちなのだけれど、この『ラドン』の時代は違った。子ども向けだなんて、とんでもない。そりゃもちろん、戦闘機VS大怪獣の息詰まる攻防線とか、ラドンという怪獣だとか、少年心を擽ってくれるものは多分にある。でもその一方で、決して子ども向けには終わられない。大人も楽しめる、練りに練った重厚なドラマを見せてくれる。だから観ていて、中だるみすることが、まったくないんです。


子ども向けでない証拠の一つとして、冒頭~中盤にかけてのホラー性が挙げられる。北九州の炭鉱で起こった殺人事件、それをキッカケに物語は始まってゆく。この殺人事件発生~犯人発覚、追跡までの流れが、とにかく怖いんです。とくに炭鉱という、薄暗くてジメジメしていて、闇の奥に何が潜んでいるのかも分からないような不気味なところで、殺人事件が展開されるわけだから、その雰囲気たるや、他のそれとは比較にならないくらい、真に迫っている。加えて、殺された炭鉱夫の妻が、殺人の容疑の掛けられた男の妹キヨ(ヒロインの白川由美さん)の家に、半狂乱の体で殴りこもうとしたり、死体の担ぎこまれた部屋に駆けこもうとするも、押し留められて泣き伏したりと、とにかく被害の様子が生々しいんです。これ、子どもの頃に見ていたら、間違いなくトラウマになるよ。

「怪獣」という存在が、まだ浸透していなかった頃の時代というのがよく伝わってくる。そもそも作中で、「怪獣」という言葉は、数えるほどか、或いは一度も出てこなかったんじゃないかな。だから炭鉱殺人も、疑いの目は、事件発覚時から姿を消している、一人の炭鉱夫五郎(キヨの兄)に向けられる。この辺りも、現実味がありますよね。そうなると必然的に、妹のキヨに対する風当たりも厳しいものになって、主人公の佐原健二さん演じる河村繁との繋がりが引き立つようになる。

でも犯人は、人間じゃなかった。二億年前の巨大な古代トンボの幼虫、メガヌロンだった。地殻変動により、石灰層中の卵が孵化したことで蘇生、炭鉱の大空洞の中で繁殖しており、炭鉱にやってくる人間を、次々と襲っていたのだった。このメガヌロン、スーツアクター3人で操作する、15尺の大掛かりなものだったらしく、背中をゆさゆさと揺さぶりながら歩いてくる様子が、とにかく気持ち悪い! しかも鳴き声が「キリキリ」という、耳を嫌らしく擽るもので、この音が聞こえてくると、メガヌロンがやってくるのだと分かる。常套と言えば常套だけど、メガヌロンの場合は、狭苦しい炭鉱町の長屋や、炭鉱の中という、局所的なところで遣われるので、そこに感じる恐怖や焦燥というのは桁違いなものがある。あの音が聞こえてきたら、とにかく死ぬぜ? ――みたいな(笑)。結局このメガヌロンは、人間サイドに退治されることさえなく、観客を恐怖のどん底に叩きこんだまま、炭鉱に悠々と消えてしまう。

ここまでだけでも、充分に心躍る展開。でも、この作品が凄いのは、メガヌロンをめぐるストーリーの怖さだけじゃない。序盤で観客を恐怖のどん底に叩きこんだメガヌロンが、実は「ラドン」の、餌でしかなかった――ということ。この衝撃と共に、ドラマはホラーから、スペクタクルに、一気に昇華する。


ラドンはゴジラと同時代の中生代に生息していた翼竜の一種。学名プテラノドンの略。この卵が孵化せぬまま炭鉱に眠っていて、度重なる原水爆実験や、地殻変動、気圧変化、阿蘇山の火山活動、温暖化など、様々な影響の許に異常発達し、恐るべき大怪獣となって生まれたというわけ。全長50メートル、翼長120メートル。炭鉱の大空洞の中に巣食っていて、同じ条件のもとに蘇ったメガヌロンを、餌として、捕食して生きている(作品中に、実際に喰われているシーンがある)。

この辺りの食物連鎖的設定が、物語に深みを持たせていて興味深い。メガヌロンは体長8メートル。こんなにでかい虫が、人間を襲うッてんだから、もう恐ろしくて仕方がない。でもそんなメガヌロンも、翼長120メートルのラドンの前では、単なる餌。このような設定によって、ラドンがどれほど恐るべき生物かということが、嫌というほど分かる。それと同時に、この設定は冒頭から始まる北九州炭鉱殺人事件と、真打ちのラドン登場という、二つをものの見事に結び付ける役割を果たしていると言えるでしょう。更に深読みするなら、炭鉱殺人事件の犯人であるメガヌロンを捕食するという設定によって、人殺しとしての怪獣に対する嫌悪感を、メガヌロンの側に集約させ、ラドンはカッコ良い怪獣として、人気を博す――ということにもなっているのかもしれない。ラドンが登場してきたことで、物語からおどろおどろしさはなくなり、代わりに人間対ラドンの、大迫力の戦闘シーンが展開されるにことになるわけだから。


少し、ラドンの造形美に付いても触れておかなくちゃならない。ゴジラにしろラドンにしろ、初めに作られたスーツが、最も出来が良いというのは、恐らく紛れもない事実だと思う。後々の「三大怪獣~」「怪獣大戦争」「怪獣総進撃」に登場する、ずんぐりむっくりのラドンとは違って、この初代ラドンはスタイリッシュで生物感があって、何より「カッコ良い」。これぞ大怪鳥! と言わしめるシャープな顔立ちに、棘の並びが美しい蛇腹、下半身には前垂のような襞があって、その左右から、ほっそりとした足が、伸びている。とても丁寧に作られているということが分かる造形で、巨大な翼を広げて空を旋回する姿が、うっとりするほど美しい。東宝怪獣の中でも、卓越した人気を博しているこの「ラドン」。人気の秘訣は、当時としては殆ど革新的といっても良かったであろう、斬新で丁寧な造形にあったということは、恐らく誰も否定しないだろうと思う。

マッハ1.5の速力を誇るラドンは、ソニック・ブームを起こしながら碧空を我が物顔に飛びまわる。自衛隊の戦闘機ですら追い越せず、大空はもはや、ラドンの支配下。この空中大決戦が、本作の見どころの一つでもある。

何が凄いか――。この大空戦、とにかく「美しい」の一言に尽きるんです。

物語は人間サイドを中心に話を進めて行くから、この戦闘シーンも、基本的には人間側の視点――即ち、戦闘機のコックピットから戦闘を眺めるという構図になる。戦闘機からでは、ラドンの後姿しか見えない。それも時折、ちらりと現れるのみで、コックピットからの視点で重要になってくるのは、体温の高いラドンが、冷たい大空に引く飛行機雲。それを辿って、ラドンをどこまでも追いかけて行くんです。ここ、何度見ても瞬きするのを忘れてしまう。いつラドンの姿が捉えられるか、いつラドンが画面に現れるか、その現れ方はどちらか――前からなのか、後姿なのか。前からだとすれば、それは即ち、ラドンが旋回して、反撃に出たということ。音楽がなく、翼が空を切り裂く音のみが響く中で、こうしたせめぎ合いが展開される。その物凄さ、面白さ、ドキドキ感……。繰り返し言うけれど、これは55年前の作品であって、しかも東宝にとっては、初のカラー作品だった。これまで戦闘シーンに使ってきた、資料映像は全てモノクロだから、ラドンには使えない。つまり、カラーという映像美を考慮しながら、全部自分でやらなければならなかった。色んな制約もあったし、問題も多かったろう。それでも、これほど素晴らしく、また迫真の戦闘シーンを作り出す。東宝の特撮が、どれほど素晴らしいものであるかが、これで分かると言うものです。

息詰まる大空戦のあとは、地に舞い降りて博多を蹂躙するラドン。巨大な翼から巻き起こすソニック・ブームで、建物を吹き飛ばし、戦車を吹き飛ばし、全てを滅茶苦茶に破壊しつくしてしまう。ゴジラの破壊とはまた違った、味のあるシーンです。猛烈な風を受けて、屋根の瓦が次々と舞い上がるシーンは、どうやって撮ったんだろう? って、考え込んでしまうくらい、見事なもの。文字通り博多の町を「蹂躙」するラドンの雄姿(笑)が、存分に味わえる。製作費2億は伊達じゃない。今の特撮でも、滅多にお目にかかることのできない「破壊」が、見られると思います。

博多蹂躙後は、いよいよ人間側の応戦が書かれる。これまでも一応抗ってきたのだけれど、殆どラドンに、致命傷らしい致命傷も負わせることはできなかった。そこで柏木博士(平田昭彦さん)は考えた。ラドンの帰巣本能を利用しよう――と。阿蘇の噴火によって生まれたラドンならば、必ずまた、棲み家である阿蘇山に帰ってくる。軍部は、そこにミサイルを撃ち込んで噴火を誘発させ、この恐るべき大怪獣を葬ろうと画策するわけです。その結論に至るまでに、様々な確執があったりもするのだけれど、字数もあるから、それは省きます。とにかく、「じゃあすぐにミサイルで攻撃!」という感じの直情径行ではないということが、言いたいんです。「嘘でないものを作りたい」という製作者側の信念は、こういうところからも、ひしひしと感じられる。「帰巣本能」を利用するというのも、説得力がある。こういった、物語の随所に感じられる「真実性」。特撮だからって、何でもかんでもありというワケじゃない。ファンタジー性に逃げず、どこまでも練りに練って、リアルを追求するという姿勢。それがあるから、俺はこの、『空の大怪獣 ラドン』が大好きなんだと思う。


果たして、ラドンは柏木博士の言う通り、阿蘇山に戻ってくるのか。人類の存亡をかけた一大決戦。生き残るのは、人間か、ラドンか。……どんなクライマックスが待ち受けているかは、ここでは書きません。「怪獣映画だから」なんていう風に決めつけないで、是非とも万人に観て欲しい、そして受け継がれてほしい作品です。そしてこの作品に籠められたメッセージについて、一人一人が考えるようになったら良いなと思う。ラドンが現れた意味、そして、それに立ち向かうということの意味――。物語の面白さを、特撮の素晴らしさを、怪獣のカッコ良さを味わい、楽しみながら、最後にはそのことについて、じっくりと考えるようになった自分に気付くはず。どうか一度――といわず何度でも、ご賞味ください。
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by anguirus | 2011-05-22 21:29 | 東宝

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